




つつじが丘祭りと上小波田の火縄 2026年5月5日こどもの日、私たちは三重県名張市で「つつじが丘祭り」に出展していた。会場に設営されたテントで、火縄銃展示や兜を被り陣羽織を着て実際に銃を持ってもらう体験ワークショップをおこなった。祭りのオープニングでは演武も披露した。昨年は所作のみだったが、今年初めて火薬を使った空砲を実施し、演武会場のつつじが丘小学校校庭に轟音をとどろかせた。現代の火縄銃演武では通常、私たちもそうだが、木綿の縄に硝石をしみこませた「水火縄(みずひなわ)」と呼ばれる火縄を使う。炎を出さずゆっくり燃え続ける特徴がある。戦国~江戸時代の火縄銃には、水火縄のほかに檜皮(ひわだ)や竹で作った火縄も多く使われた。各地で生産されていたものの、近代になって火縄が必要でなくなると廃れてしまった。
つつじが丘から北へ3kmの名張市上小波田(かみおばた)は、真竹の繊維を材料とする火縄作りが全国で唯一残っていることで知られる。江戸時代初期に藤堂藩の命により始まったとされ、以来350年以上の歴史をもつ。竹製の火縄には竹の繊維に含まれる油がつまっているため、硝石を染み込ませずとも火持ちがよく、水をかけない限り消えない。燃える際には良い香りもする。今も上小波田火縄保存会により、この伝統技術が大切に守られている。
京都祇園の八坂神社では大晦日の夜、「をけら灯籠」に灯る「をけら火」を火縄(吉兆縄)に移し、消さないように縄を回しながら持ち帰り、無病息災を祈って神前の灯明や正月の雑煮を炊く火種とする新年の伝統行事「をけら詣(まい)り」がある。上小波田の火縄はこれに使われたり、奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社に奉納されたりしている。私たちもいつか、上小波田の真竹製の火縄を装着した火縄銃演武を、地元のつつじが丘祭りで披露できればと夢見ている。(作:小栗)
火縄銃のカニ目とハンズオン 私たちが2026年4月11日に鉄砲鍛冶屋敷(堺市立町家歴史館井上関右衛門家住宅)でワークショップを開催した際に、参加された方から「カニ目ってどれですか?」と質問されることがあった。カニ目とは、火縄銃のカラクリ(機械仕掛け部分)を覆う地板にあいた小さな穴から、先端が斜めにカットされた細い真鍮製の棒の頭がわずかに出ていて、引き金をひくとそれが穴の中に引っ込む動きをする部分のことだ。棒の頭が出ている時は、それがストッパーになって火縄をつけた火ばさみが上がったままになり、中に引っ込むとストッパーが外れ、火ばさみが火皿に向かって落ち、火皿に盛った火薬に火縄で着火させる仕組みだ。カニ目部分はカニ目かくしに隠れて外側から見えにくい上、棒の動きはわずかであり、実際に引き金をひきながら目を近づけて観察しないと、その動きを実感するのは難しい。質問が出るのも無理はない。質問された方に火縄銃のカニ目部分をのぞき込んでもらいながら、引き金を引いたり戻したりしてもらうと「あ!動いているのが見えました!」と、カニ目がどのようなものなのか納得してもらえた。
近年、博物館業界では性別、年齢、障がいの有無、国籍、言語、宗教、文化を問わず、すべての人が利用できる「ユニバーサルミュージアム」を目指す動きが盛んだ。方法のひとつに、展示物に触れて体験するという意味の「ハンズオン」がある。ただその前に立ちはだかる壁は、展示品の保護だ。今だけのために手荒な扱いをして、後世に貴重な品々を伝えられなくなっては元も子もない。ハンズオンと展示品保護の両立のため、博物館業界は苦悩している。火縄銃も美術品であり、保護のため軽々しくは触れられない。
私たちは、会員が個人所有する火縄銃を持ち寄ってワークショップをおこなっており、自分の責任で参加者に実際に銃に触れてもらうことができる。展示ケースの外から眺めるだけではない、ハンズオンの実践である。目の見えない方にも是非、ハンズオンな私たちのワークショップに参加して欲しいと思う。
(作:小栗)
黄金の日日 昭和40年代前半以前の生まれの方であれば、記憶されているかもしれない。昭和53年に放映されたNHK大河ドラマ『黄金の日日』は、戦国時代の堺が舞台だった。市川染五郎(現・松本白鸚)演じる呂宋(るそん)助左衛門が、戦乱の世にフィリピンのルソン島との貿易で堺の豪商となっていく物語である。
「この町はベネチアの如く執政官により治められる。堺と称するこの町は甚だ大きく且富み、守り堅固にして諸国に戦乱あるも、この地に来れば相敵する者も友人の如く談話往来し、この地に於て戦うを得ず。この故に堺は、未だ破壊せらるることなく、黄金の中に日日を過ごせり(ポルトガル宣教師ガスパル・ビレラの書簡より)」と、戦国時代に町人の自治による自由都市であった堺の状況を説明する朗読から始まるこのドラマでは、前半で火縄銃が物語の進行役を果たした。丹波哲郎演じる堺の豪商今井宗久は、生産した鉄砲を織田信長にいち早く売り込んで接近して、堺の自治を守り、川谷拓三演じる鉄砲鍛冶師杉谷善住坊は、鉄砲で信長を狙撃した。このドラマで堺と火縄銃の繋がりを初めて知った人も、多かったことだろう。
今、日本各地に火縄銃の発砲演武や研究をおこなう鉄砲隊や保存会が組織されている。揃いの装束をあつらえたり、旗指物の決め事があったり、甲冑は本歌のみ使用とする団体もあるようだ。私たち堺火縄銃保存会では、発砲演武で装着する甲冑や陣羽織、衣装に決まりはない。兜に大きな角を付けたり、ド派手な陣羽織を着たりして、観覧される方々の目を楽しませられるよう、会員皆それぞれ工夫を凝らしている。言い訳としては、「堺は自由だから」である。この自由な「黄金の日日」を私たちは続けていきたい。(作:小栗)
堺と火縄銃
1543年、ポルトガルから鉄砲が伝来すると、橘屋又三郎が種子島で習得した技術を持ち帰った。堺は平安時代末期から続く「河内鋳物師」の技術基盤を持ち、良質な鉄を加工し複雑な銃身を製造できる強みがあった。
町の自治組織になる会合衆で、分業制を確立し大量生産が可能となり日本屈指のブランド「堺筒」が誕生した。
自律的な貿易都市で機能していた堺は、1569年に織田信長が6万の軍勢で包囲され、矢銭(税)2万貫を支払わなければ焼き討ちにすると脅してきた。堺の有力商人・今井宗久を重用し、軍用金(税)を提供する代償として、淀川の通行権や生野銀山の支配などの特権を交渉。結果、合意され支配下となる。松井友閑が政所として派遣され、会合衆は解体した。
17世紀半ばには年間1万挺を量産する日本最大級の鉄砲生産地に発展することとなりました。
現在、演舞で使用している火縄銃は、過去に生産された火縄銃です。
堺火縄銃保存会は堺筒を使用しています。

発砲演舞
堺火縄銃保存会は、発砲演舞において堺筒を使用しております。
出立は、袴姿と甲冑姿の二種類がございます。
堺は、古くより貿易港を有し、産業と商人の環濠都市として栄えてまいりました。火縄銃の生産地として知られ、他の町のように鉄砲隊組織が存在せず、大名の支配も受けない自治区であったことから、当団体は火縄銃の保存会として活動しております。(種子島火縄銃保存会、国友鉄砲研究会)
そのため、出立は袴姿となっております。
甲冑姿は、イベントにおいて来場者様にご満足いただけるよう、仮の姿として着用しております。兜には前立や脇立を施し、鎧は様々な色の当世具足を身につけ、陣羽織を着用した武将スタイルでございます。
時代行列が催される祭りに参加する際には、老体に鞭打ち行進しております。
それは全て、来場者様の笑顔のためでございます。その笑顔で心を満たし、活力に満ち溢れ、文化の継承活動を継続してまいります。
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